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「建築とイタリアと」


やんちゃな少年時代を送った彼は、中学生になると建築家を志すようになる。
その後、工業高校に入学し、3年間建築を学んだ。

「その頃は自分でレールを敷いてたんだよね。あと何年かで資格をとって、卒業したら事務所に入って下積みを積んで、資格をとったらいつか独り立ちして稼ごう・・って。」

それと同時にイタリアに漠然とした憧れを抱いていた。

高校卒業後すぐに建築事務所に勤め始めるが、イタリアへの気持ちは抑えられなくなっていく。
「根拠は無いんだけど、10代のうちにやっておきたかった。そうするべきだと思ったんだ。直感的に。」

決心してからは早かった。
結局3ヶ月で建築事務所を退社。イタリアへの旅費を稼ぐ為に自動車の製造ライン工場で働いた。
1日11時間・週5日、半年間ひたすら働き旅費を貯め、ついに憧れのイタリアへ。奇しくも彼の父親がアメリカに渡ったのと同じ歳、19歳だった。

ここで一番こだわったのが「旅」するのではなく「生活」するというスタイル。
イタリア中部の都市、街の中心部は世界遺産にも登録されているフィレンツェを中心に語学学校に通いながら「生活」を楽しんだ。

「ホント全てが新鮮だったね。食べ物・植物・匂い・光。
日本でそれまで当たり前だと思っていた事がくつがえされたんだ。いい加減で底抜けに陽気なイタリア人の気質にも驚かされたしね。」
そこで見たもの、感じたものがその後の道を大きく変えた。

「中学の頃はイタリアで生活するなんて、ホント夢でしかなかったんだよね。でも実際に行って生活して、夢がかなった時、単純に「やればできるんだな」と実感したんだよね。」

イタリアでの3ヶ月の生活を経て帰国。
一本のレールにこだわらない歩み方が芽生えていた。

帰国後、当時長野県に住んでいた祖父の家に滞在。軽井沢のホテルで夏の3ヶ月間働いた。

「そこでの生活は有意義なものだった。本を読む時間、考える時間がたくさんあったんだよね。自分を見つめ直すいい機会だった。ホント充実してたよ。」
ここでの生活で安いマウンテンバイクを購入。移動はほとんど自転車で、それからの生活に欠かせないものになっていった。

その後、弟をたよって上京。東村山で一緒に暮らし始めた。
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